
石崎 隆:昭和24年10月7日生まれ
障害名:関節の疾患による、両股関節軽度機能障害
障害程度等級:2種6級
| 子供の頃は他人と同じだと思っていた。普通の子供だと、信じて疑わなかった。 田んぼのあぜ道を三輪車で走るのが大好きな子供だった。 小学校に入学後、先生に「隆クンはあんまり無理しなくていいからね」 体育の授業の時だった。「あれ?僕普通の人と違うんだ」 父は共同通信の社員。母は専業主婦。母なしで、彼の人生は 語れない。当たり前だ。彼の一番の理解者であった人だから。 しかし、その理解者も彼が42歳の時に他界してしまう。 何も無くなった彼。何をしてこの先生きていけば良いのか。 一時は死人のような生活を送っていた。写植の仕事だけはなんとか 続けていた。 このままではいけない。母だって死んで天国に行ってもバカ息子の事が 心配で、ハラハラしてるに違いない。これ以上苦労をかけるわけには いかない。 彼は昔からスポーツ選手に憧れていた。高校時代ボクシングもやっていた。 選手には当然なれない。ボクシングを紹介してくれた友人は、プロテストに 合格し、4回戦の試合に出るようになっていた。彼は来る日も来る日も練習 だけ。それでも、最終的にはバイト先を朝の早い築地の魚市場に決めてまで、 メインエベンターのロードワークトレーナーをかって出る程ボクシングに のめりこんだ。 一人ぼっちを引きずって、思いついた場所はひとつしかなかった。 障害者のスポーツセンターだった。やはりスポーツしか心のよりどころは 見つけられなかった。 ある日キャッチボールをしていた彼に、職員のひとりがこんなひと言をくれた。 「神戸のグリーンスタジアムで、障害者野球の全国大会が始まるらしいよ」 野球やろ!彼は、野球をやる事よりもプロ野球選手と同じ舞台に立てる! この可能性に夢を見つけた。 張り紙をし、15人集めた。モチロン彼が代表に選ばれた。 大好きなボクシングの映画「ロッキー」にちなんだ東京ロッキーズが誕生した。 そして、はじめたからには前を向くしかなかった彼は、人が変わったように 活動をはじめる。まるで、いままでの人生の遅れを取り戻すかのように、 何でも挑戦した。アメリカのクリントンにも手紙を出した。 元来の目立ちたがりや根性が、目覚めた。チームを引っ張っていかなくては いけないプレッシャーを見事にはねのけて行動し始めた。 プロ野球OBや、現役選手にも突撃で会いにいく。 「障害を武器にだってなんだってするよ。身体障害者だろうとなんだろうと やろうと思えば何だってできるんだ。それを全国の障害者に伝えたい。 僕は野球のおかげで、今までのコンプレックス人生を楽しく胸張って生きる 人生に変えてきたんだから」 結局、アメリカの大リーグ「コロラドロッキーズ」にまで会いに行ったメンバー達。 彼は「思いが現実のものになった時に僕の人生は落胆からバラ色に180度の 急展開をみせました。」と言っている。 アメリカの障害者野球チームとの交流試合も、メインイベントのひとつだ。 平成9年からはじめたアメリカ遠征試合。今年も9月に遥かアメリカまで 遠征する。たぶん、日本の草野球界でいちばん遠くまで遠征するチーム だろう。 ![]() こんな彼のパワーは、様々な媒体を通して紹介されている。 そこでできた「パーフェクト9」というドキュメンタリー映画だ。 メンバーの悩みや、生活や、野球を、ありのままに映した作品。 ビデオも発売されている。見終わった後、涙だけじゃなかった映画は久しぶりだった。 勇気というより、パワーをもらった映画だった。 「障害を持って生まれた今までの人生を振り返ると、人間ではない珍しい生き物 として数々の屈辱の場面が思い出されます。」 屈辱だった人生だけど、決して悔やんで生きてはいけない。人のせいにしても いけない。幸せは自分で掴むもの。母の死に意義を見出した彼が自分を変え、 行動し、勝ち取った今の楽しい人生。幸せになりたかったら、やるしかないんだ。 |

私は身長157センチ。
わかるかな?この差。
この体のどこにパワーが潜んでいるんだろー?
いつお会いしても、元気で、茶目っ気たっぷり。
文責:jojitown @ひろみ
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