■□■元気ネタ・2003〜2004■□■
|
||||||||||||
| ■□■悲しみがくれたもの■□■ |
| 約2年前に取材した方が亡くなっていた。 夕べ久しぶりに、その方の情報を、とある掲示板で目にした。 早速、関係者の方へメールを送ったところ、早速お返事があった。 **************************************** 6月15日に他界されました。 自ら人生の幕を下ろすという突然の訃報でした。 とても残念です。 とても悔しいです。 **************************************** 掲示板のやり取りから、なんとなく、もしかして・・・・そんな気がしていたが、この関係者の方からのメールで一気に私の悲しや怒り、虚しさ・・・さまざまな感情がとめどなく一気に噴出した。 「死にたい・・・」という人に今まで数人会ったことがある。でも、私はどうしていいのか・・・全くわからなくなる。私は自ら命を落とすことについてはどんな理由があっても!大!!反対派。絶対ダメ!!死んでもダメ!(アレ?死んじゃったら自殺できないよ。) ましてや「死にたい。。。」などと嘯くヤツはもっと・・・。 でも、人それぞれ表現方法が違うってことはナントナク解っている。「死ぬ!死ぬ!死にたい!」って散々言いまくって長生きするヤツ。それも家族や身内に大迷惑かけて「ヤレヤレ〜!」と言われれて幕を閉じる人 本気だった人・・・本当に死んでしまった人 口だけのハナシで、まだ、生きてる人 色んな人がいる。 でも今回の訃報は、残された関係者の方々の心中が余りにも理解できてしまった。残された人たちはどうすればいいの・・・? 楽しかった思い出だけを胸に生きていかなくちゃいけないって、どちらかと言えば綺麗ゴトに映る光景。 そんな綺麗ゴトではない。大切な人を失うまでの時空で、自分はどう存在していたのか?どう存在すれば良かったのか?きっといつまでもいつまでも頭の片隅に引っかかって消えない問答となる。 そんな置き土産は、しちゃイケナイよ。誰しも死んでしまったら悲しむ人が必ずいる。哀しさの度合いは人それぞれかもしれないけど、必ず「哀しい」と思う人がどこかにいる。そう思ってくれる人と、生きている間に一人でも多く解りあわなくちゃ! その人に会って、自分が「生きている!」ってコト、実感しなくっちゃ! 身近にいるのにソレに気付けない、そんな自分では絶対に在りたくない。 だからこそ、勇気ややる気下さる方を取材したい!と私は走り回るのかもしれない。っつーか!最近走り回ってナイ。 ダメだぞ〜!初心忘れるべからず!ネットを使ってイキイキとした人を取材するのが楽しかったんジャン!どんなことがあってもその気概だけは持ち続けなくちゃ! そうして亡くなった方のご冥福を心からお祈りしなくちゃいけないネ。私にできること、メゲずにやり続けなくちゃネ!さ!元気の素!元気出そうぜぇ〜〜(2004.7.27) |
| ■□■やるせなさのハケ口■□■ |
| このコーナーもいい加減廃止したらどうかね?書きたいことは山積なのに書けない時期、纏めきらない自分の気持ち、他のコーナーや作成代行に追われる日々、jojitownとは別の活動、そんなさまざまな要因を抱えたまま、いつも頭の隅のどこかににこびりついている「元気ネタ」。 最近は唯一火曜日のみが、わたしの自由に使える時間となってしまった。それでも仕事にまつわる電話やメール、FAXが入らないことはないので、丸一日山にでも篭らない限り、離れることはできない日常になっている。それもこれもjojitownのおかげ。でも休息しようと思えばどこでも眠れる、すぐにボッーとできる特質を持って生まれたため、ほざいてる割にはそんなに悲壮感は感じていない。 ご無沙汰しているお友達にメールや手紙や電話で他愛もないお喋りの時間を楽しみ、いつもより手間をかけた夕食を作れる日には買い物から気合を入れ、いつもは我慢しているデザートコーナーなんかに立ち寄って、賞味期限ギリギリで半額になっていない、正規のプライスのデザートを胸を張ってカートに入れて自己満足。へへ・・・お安いワタシ♪こんな些細でくだらないことで、まだまだ遊べる43歳って、ホント!子どもだよなぁ〜〜。三人の子ども達が「ホント!くそガキだよね。ひろみって!」と鼻で笑われることを死ぬまで(相変わらず大げさな表現だ〜)拘り続けたい。あっ?コノ発想もおこちゃまだよね。(^^ゞ そんな毎日を送りつつ、jojitownで、NPOで、またまたたくさんの方々と出会うチャンスに恵まれ、本当に十人十色のご意見を頂いている。jojitownはたった一人で勝手気ままに運営しているので、さして大きな問題は抱えることもないのだが、やはりNPOとなると、そうもいかない。 ましてや、まだまだ認知度、信用度の低い“カウンセリング”という「え?それって妖しい宗教じゃないの?」「催眠療法とかにかけて洗脳すんじゃないですか〜?」「引きこもりなんてタダの甘えだよ!」「なんでひろみさんが?元気な人しか相手にしないんでしょ?」 『え・・・?そうか・・・・』『ん〜〜〜そこだけを見てNPOにしたワケじゃないんだよぉ・・・』 認証されてからの風当たりは益々強くなるばかり。ここまで“カウンセリング”というものの評価が低いことに正直驚いている。 障碍者手帳があれば援助を受けられるというシステムが構築された歴史はそんなに古いものではない。 国や地方自治体からお金を受け取れるシステムをいくら構築したって、基本的な解決にはならない。お金が全てじゃないけれど、これから先、精神に支障をきたしていると思われる(見える)人達や身体のどこかに不自由がある人達がいかに経済活動に参加して、自活できる智恵や場所や支えてくれる他人とたくさん出会い、これからの人生、どう楽しく生き生きと一緒に歩んでゆけるか。自らの手で自らの人生を操縦する力をどう備えてもらうか。それらをネットワークワーカーとして提供してゆかなくては、根本的な解決にはならないと感じている。 「働かざるもの食うべからず」私がここで言う「働く」とはお金になる労働力だけだとは全く思っていない。日々のゴミ出し、掃除、洗濯、買い物、食事作りへの参加や学校に行ってちゃんとたくさんの智恵を持って帰ってくること、ご近所とのお付き合い・・・その他モロモロのこと。それも人として生きてゆくための根本的な自らの「働き」である。 「自分のことは自分でできるようになる」幼い頃からそう躾けてこれなかった時代があったことの代償は、さまざまなところでひずみを発生させている。 私のダイスキなグループのアルバムの中に入っている歌詞が、その全てを上手に言葉に表してくれていると思う。 繰り返し聞けば聞くほど、胸の奥が詰まる。何をどうすればいいのか?何ができるのか?いくら考えても答えなど見つからない。だったら、何でもいいから動かなければ・・・動いていなければ、もっともっと・・・・やるせなくなる。 〜ケツノポリス3 ケツメイシより〜 <明日の少年> 昼下がりの公園に笑い声は聞こえない 見るからにどうせ 子の気持ちすらも拾えない 親ばかりやたらにこの時代にはばかり 向かい合い伝え合い やり得ない馬鹿ばかり レールを敷く意味 取り違え どっか置いてる 同じコース 歩かせることに 必至こいてる 押し付ける体裁に 子供達は繊細 自分自身信じた道選ぶよ 絶対 コンビニの弁当に 愛情の洗脳 じゃ いつか牙を剥く 子供たちの返答 殴れる子供たちは今度 刃物使い出す やつれる親たちは 人様にすがり出す もう遅い てめえのケツはてめえ自身で拭いとけ 打ち解けるなんて無理 胸に手当て悔いとけ 言葉ではなく 背中見て育つ 子供信じろ 再度 子供信じよう 進むだけ損だぜ 満たされぬ親が作り出すロマン 前だけ向かせて 同じ方向へ 浴びるだけ損だぜ 満たされぬ親が降り注ぐシャワー 曲がった時だけ 舵を取れ この就職難見こして 子さとして向かう先 高級塾 熟練した講師の ハードな授業に 将来有望と洗脳する 無謀 子の希望はサッカーのユニフォーム 着て外に出たいと 願うもタイトなスケジュールにすでにノックアウト 寸前で風船は針の山 高い月謝払い 過度のプレッシャー 与え続けた子を さらには電車にまで乗せ 運ぶ遠き学び舎 まるでかごの中のカナリヤ 目を覚ましな 何が大事か 親の見栄より 子供の夢は? 子は勝手に育つと昔は できたこ事 今 親が学びな 進むだけ損だぜ 満たされぬ親が作り出すロマン 前だけ向かせて 同じ方向へ 浴びるだけ損だぜ 満たされぬ親が降り注ぐシャワー 曲がった時だけ 舵を取れ 息苦しくなり 耐えられずに すぐにキレる 子は時に親に飛びかかる 昔父は子を殴り 母が慰める 一度グレる子も 親の背中見て育つ かつて親も子供 金や物が無い頃 あの思いをさせないようにと 授かった我が子に買うなんでも すると覚えるよ欲しい物は手に入ると 我慢ができない 親に怒られない くじけても一人では立ち直れない 子は親の鏡 親いつ大人に 誰見本に生きればいい 親の都合に呑まれる子 見栄に犠牲になるものよ いつまでも 一人食事 テレビこれで幸せかい 親の愛は足りているのかい 進むだけ損だぜ 満たされぬ親が作り出すロマン 前だけ向かせて 同じ方向へ 浴びるだけ損だぜ 満たされぬ親が降り注ぐシャワー 曲がった時だけ 舵を取れ(2004.4.27) |
| ■□■夢というカタチ■□■ |
| 2004年初!の「元気ネタ」ですね〜。もっと早く書きたいコトがあったのですが、どうにも気持ちばっかりが先走り、なかなかドッシリ構えてこのページに向かうことができませんでした〜。 と、言う事で今日はなんとか筆が進みそう。 さてさて、TOPページでもご紹介していますように、NPOの活動が本格始動に向けて少しずつではありますが整い始めました。明日には都庁の相談会へ行き、そこで申請書類のチェックを受け、訂正箇所などを修正し、提出となります。今申請しても5月か6月あたりにNPO法人格を頂けるそうで、まだまだ本格始動までには約半年かかります。それでも徐々に、随所で、夢のように思えていた発想が現実の話になったり、もっと大きく膨らんだりして、小さいながらもさまざまな活動が始まっています。 まずはカウンセリングを受けに来ている方々の数名が自助グループを結成し、活動を始めようとしていること。 カウンセリングを受けにいらっしゃる方々の悩みはもちろん幅広く複雑で、本当に時間がかかるものです。でもカウンセラーが一緒にその人と時間の流れを共有しながら、真面目に、時におもしろおかしく、時に涙を流したり、時に感心させらりたりしながら、お互いに人として自然に備わった五感を当たり前のように使い、楽しい時間が過ごせるイメージを膨らませながら過ごします。そして、そのイメージを具体的にどう実現してゆくかを模索しながら現実の「形」へと、粘土をこねるようにこねくり回している。なんの形に見えるか?なんて問題外!学校で習った図工の時間じゃないんだからどんな形をしていても成績には関係ナイんですもの。まずは粘土に触ったコトに意味があるんですもの。その粘土の形がこれからさまざまな形に変化してゆくという可能性に大いに期待です! そして、私個人ではNPOの活動と並行して昨年の10月から始めた「要約筆記」の講習がまずは終了し、今年からサークルに加入して実際に現場に行って活動をすることになりました。 「要約筆記」というマイナーな世界は殆どの方がご存知なく、(かく言う私もその一人だった。)「聴覚障害をお持ちの方の情報保証をする。」という説明をしても、「手話」と違って具体的に想像しにくいものです。 高齢になると、足腰の衰えと視覚、聴覚の衰えなど、体が自分の意思とは関係なく不自由になってくるものです。程度の差こそあれど、必ず不自由を感じる箇所が出てきます。そんな中、こと「耳」に関しては不自由であることに相手は気づきません。杖をつくわけでもなく、何か大きな看板でも首からぶら下げて「私は難聴者です。」と表現しない限り、何不自由ない人だと認識されます。そして、音から隔離された世界というものがどれほど孤独で不安かを(私の中での想像の域ですが)実際に経験している方々からのお話を直接伺う機会を頂いたり、具体的に不自由だと感じられる事柄などをお聞きし、驚きと共に奥深い心の痛みが少しだけですが理解することができました。例えば電車が急に停止する。「何が起きたのか?」「動くのか?」「どれくらい時間がかかるのか?」車内アナウンスが聞こえなければ、何も情報を取得することができません。持ち歩いているメモを差し出し「何が起きたのですが?」とペンを走らせ相手に差し出しても「私、字が下手だから・・・」と言う方が多いという事実。まず耳が不自由であるという事実を初めて逢う人に説明して回り、理解してもらわなくてはならない煩雑さ。 実際に耳の不自由な方が手話をある程度まで理解し、コミュニケーションツールとして機能させることができる人というのは、難聴者の半分位しかいらっしゃらないという現実には驚きました。ある朝目覚めると音が消えていたという中途失聴の方が結構いらっしゃることにも大変驚きました。ストレスから難聴になった方も少ないくないそうです。もし自分が・・・。明日は我が身・・・。「障碍」を持つということは決して他人事ではないのです。自分が家族が、明日にもそうなるのかもしれないのです。わかっているけど、やっぱり他人事なのです。 難聴=手話という図式は私の中で当たり前の公式でした。そう、耳が聞こえる私の勝手な発想です。その発想を何の根拠もなく正しいと思い込み疑問にすら思わずに過ごしていたのです。そんな思い込みの中で生きている自分を見つけ、狭い世界で生きている自分を認め、いろんなことをもっと沢山知って、関わって、自分の発想を柔軟にしてゆけたら・・・とも思いました。そして、そこから生まれる可能性をさまざまなカタチに変換して私なりに発信してゆき、共有してゆくコト、生きている実感を肌で感じられるコト・・・こんな私にでもできるコトを私自信が知りたい、気づきたい、やってみたい!そんな気持ちにもさせてくれました。 視覚障害をお持ちの方とは、jojitownを開設してまもなくの、地域のラジオ局のコーディネーター時代にALMAと出会い、その肝が据わった人生観に感銘を受け、初のプロデュースライブで「元気の素」を発信して頂いた。同じくライブに出演して頂いた、最近日本TV系列「スーパーテレビ情報最前線」でドキュメンタリーが放映されたソプラノ歌手の澤田理絵ちゃんや「がんばる人」の和出野氏などを取材させて頂き、日常生活や想いを少しは理解することができていた。しかし、今回「要約筆記」で出会った難聴の方々の日常は、視覚障害の方々とはまた違った側面があり、その立場によって問題はさまざまであること、今後はいかに健常といわれている人が、その立場や状況に寄り添い、想像し、不自由だという箇所の代わりになり、聞こえない、見えない、喋れないなどのストレスを軽減し、一緒に可能性を追求してゆける環境、チャンスを共有できるか。痛みや苦しみを超えた人が持つ聡明で強い信念、本当の意味で「生きていること」の喜び、そんな心意気をたくさん見聞きし、私が作成できる「インターネットの世界」でたくさんの方々にご紹介してゆきたい。 ある時、知的障害を持つ子どものテレビ番組を見ていた時、「あんたは同じ立場になれるのかよッ!」と無理難題を問われたことがあった。 悲しくて虚しくて悔しくて、今まで味わったことのない、とてつもない孤独感を感じた。私が関わってきたことは偽善だとでも言いたかったのだろうか。何が気に入らなくて何が憎くて何がいけないのか・・・?健常者であるその人から発せられた言葉に全く見当が及ばなかった。返す言葉すら、反発する気力すら皆無だった。二度とそんな思いはしたくない。わかる人にだけわかってもらえればいいじゃ〜ん!という次元だけでは伝わらないと理解していたはずなのに、もどかしさでイライラする自分に気が付いた時、言い訳で「伝わらない」と言うのは止めようとも思った。何か違うカタチでの表現や活動も必要になってきたのか・・複雑に絡み合った思いが初めて生まれ出した。そしてjojitownという名のもとに活動してきた3年間をなんとなく思い返していた。そんな時「NPOを一緒に立ち上げない?」という声がかかった。。 私は世でいう「障碍者」ではない。家族にも身近にも「障碍者」と言われる人間はいない。これからは「障碍者か健常者か?」まず、そんな物差しを見つけたら、この手で一本でも多くへし折ってやろうと思っている。 これからjojitownで、ウイッシュ・プロジェクトで、まさしく十人十色の生き方をしている方々と今以上に広く、深く関わっていけることは、私の今後の“元気の素”となり、活動を支える源になるでしょう。 思い描いていた夢はカタチになったけれど、夢を継続して見続けることは全く別の話です。カタチにとらわれず「日々動くこと」の大切さをこれからも体感してゆきたいです。(2004.1.26) |
| ■□■第一次集大成■□■ |
| 「桃、栗三年、柿八年」。jojitownも桃、栗が実をつけるのと同じ年になった。 実際、「実」だなぁ〜と感じる事が今年は沢山あった。桃も栗も秋の味覚。jojitownも秋に開設したので、なんとな〜く運命を感じてしまう。(食い意地張ってるね〜。) どんな実が生ったかって? 色んな味がする実なんだ。 ただひとつある共通点を挙げると、それは、前から言ってるけど、“目と鼻と口と耳がついた人間”だという事。 jojitownサポーターになって下さっている「むさしのカウンセリングルーム」心理カウンセラーの、ともチャンと中山さんと3人でNOP法人を立ち上げる話が持ち上がったのが夏頃だった。実は昨年、jojitownをNPO法人として申請しようか・・・?と悩んだ時期があった。数名の方に相談したが「時期まだ早し」という結論に達した。 それから約1年間いろいろと試行錯誤してみたが、自分の目指すものは一人で活動できないほど大きなものなのだと認識せざるを得なかった。そんな時、タイミングよく「やろうか!」「やれるかもしれないね!」そんな話題で日々賑わうようになってきた。むさしのカウンセリングルームの人脈、jojitownの人脈、それぞれを上手に楽しく循環させる団体を作りたい。そんな想いが一致した。一人ではできない事も、二人になれば三人力になる数式がやっと見つかった。 所詮人は一人では生きてゆけないモノ。その意味が解っている人同士が集まる空間、場所、情報発信基地がjojitown以外に必要だったのだ。わがままを言わせてもらい、私はjojitownを本業にNPO理事として活動に参加することにして頂いた。jojitownは最後まで自分の責任の下、運営してゆきたい。そんな想いも受け止めてくれる人達にやっと出会うことができた。 jojitown単体では不可能な「やりたいこと」をNPOで活動してゆく。今以上に騒がしくなるが、生きている間に出会える人の数をまだまだ増やしたい!色んな人の人生を垣間見て、時に泣いたり笑ったり、喜んだり悲しんだり、いじけてみたり、優しく包んであげたり、愛しいと感じてみたり、憎いと感じてみたり、お友達に紹介してみたり、うまい酒を一緒に飲んだり・・・五感を更にフル稼動させたい。 申請書類を年内に提出すれば、来年の4月〜5月に認可が下りる。本当に細かい打ち合わせや知識が必要だ。でも、一人じゃない!その事が私を奮い立たせる。そんな追い風を受けると本業の方も忙しくなってくる。作成代行の仕事や取材が立て続けに入る。ただ観光して回って記事にするという“@ひろみのおさんぽ”コーナーが、私の持つネットワークからの紹介という新しい形態になったりもした。作成代行も、作ってハイ!納品!の形態ではなくなって来た。その後の更新作業まで依頼される。今はまだ3件ほどなので一人でこなしてゆける数だが、来週には、もう1件増えてしまう。お気に入りの西荻サウナにも全く行けず、かといってストレスが充満してるという感覚もあまりない。毎日の“飲酒”も焼酎の豆乳割りに変えてから増加していた体重もベスト体重となった。「このひとしってるぅ〜?!」で三年前に取材した若者がメジャーデビューを果たし、初アルバムがオリコンチャート15位にランクされたり、TVの音楽番組に生出演までしてしまった事実も、私の自信に繋がった。 それもこれも思い切ってjojitownを開設したからこそ、出会えた事。 jojitownを立ち上げようという想いを現実のものにしてくれたのは。私を一人の人間として評価してくれた人がいたからだ。 妻であり、OLであり、母であり、酒飲みである私を認めてくれた人がいた。その人の事は一生忘れずにいたい。目に見えないエネルギーの素!「初心忘れるべからず」「継続は力なり」NPO法人取得活動に参加しながら、いつも脳裏をよぎる言葉だ。(2003.11.15) |
| ■□■偽りの世界の中で■□■ |
| またまた某食品会社の偽りの成分表示事件が発覚した。アレルギー反応が出る人にとっては口に入れると生命に関わる危険性を持つという一大事。投入しても構わないのだが、うっかりや故意に表示しないのが問題だ。 約束ごとが守れずにお金を儲けなくてはならない大手企業はゴマンとある。TVで新商品のCMが流れれば皆こぞって買い漁り、あるある大○典やおもいっきりテ○ビなどで「奥さん!コレで血液がサラサラになるんですよー!!」と司会者がことましやかにのたまい、アシスタントもそれなりのリアクションで打ち合わせ通り笑顔で力強くアピールすれば、あ〜ら不思議。その日の内にスーパーやコンビニからその商品が姿を消してしまう。 かの有名な商社が中国で製造させ、販売したダイエットに効「○○茶」なるもの。現地で大量に捨てられる薬草の葉っぱでな〜〜んも効果のないもの。それを堂々と商品にして売ってるという。原価は殆どタダ同然。それが売れるワケだから、中国人からみたら「日本人は簡単に騙せる!」と映るだろう。販売するお店自体に本当の知識を持った人がいなく(というか無くても商売できる。)のでTVやラジオ、新聞、雑誌で紹介されたものに飛びつき、即!仕入れ、販売する。 TVで紹介されるにはそれなりの投資や目論見が必要だってことは、その世界で発言権や実力のある知り合いの方々から事実(裏話)を教えて頂く機会が結構ある。それも全く違う業種の方々から同じような話を耳にする。TVに出演し、にこやかにコメントする○○評論家や専門家の方々はある意味「タレントさん」なのだ。ギャラを頂くからにはスポンサーの意向に沿う発言と演技が要求される。例えば料理人だったら、料理番組に出演するのなら合点がいく。なんで白衣着てバラエティー番組とかに出ちゃうワケ?料理人のはずがTVで人気を博し、挙句の果てに脱税までしていたヤツまで出る始末。本業に真面目に取り組めよ!実はマスオさんなのに、出身を偽って血統を強調する超有名専門学校のオーナー。同じ業界の仲間に嘲笑われても、破格のギャラと日々ブラウン管や出版物に登場できれば、そんな陰口は痛くも痒くもないんだそうだ。というか普通、コイツとは友達になりたくない・・・と思うような人間性を平気で露呈できるところまで到達しないと、その世界では生き残れないらしい。番組の趣旨に反発すれば次回の出演はあり得ない。そんな簡単な図式で成り立って発信されているものを、尻尾をふって追いかける私ら一般人。これじゃぁ、いつまでたっても成分表示なんて正しく表示するわけがないね・・と思ってしまう。 「正直者はソンをすんだよ。偽装したってうちのブランド゙は実績持ってんだよ!許可されてない添加物を入れようが、アレルギー食品を入れようが、正直に発表しなけりゃいいんだよ。大した被害にはならないし、バレたらバレた時に対応策を考えればいいさ。事件になったとしても、半年もすれば消費者は忘れるサ!なんたってこの新商品が陽の目を見なかったら、自分たち・・・リストラされるんだぞ!!次回のCMには歌手の○○を起用しよう。ギャラはいくらかかってもイイ!先行投資だ。そうすれば文句なく売れて投資もあっ!という間に回収さ!」ってな具合だね。 消費者は何度騙されても大手企業のブランド名を信用するという癖が抜けきらないのだ。そこはお見通しなんだね。狂牛病の時だって、あれほど大騒ぎしてたのに、現状報告なんてほとんど発表されない。発表されても、もう大して驚かなくなってきた。あんなに大騒ぎになったんだから、ちゃんと流通しないようにしてくれてる・・・デショ??と安心しきっている。決して狂牛病が世の中から消えたわけではないのに。あの頃お店をたたまざるを得なかった「焼肉屋さん」は本当にお気の毒だ。 正しい情報、おいしい情報はそうそうみんなに教えないもの。だってみんな自分が一番かわいいんだもん。そんな情報は自分が作ったネットワーク=縁を持ってる信頼関係で結ばれた数少ない人達にしか流通しないもの。それに、良かれと思って教えても、全く信じてもらえないもの。「え〜〜?アンタの言ってる事って信用できるものなのぉ〜?」コレまた自分が一番正しいと思っちゃう。眼力は自分の足と人間性を使って獲得するしかないんだ。自分の命や健康は自分が持つネットワークで守っていかなくてはいけない時代になってきた。たくさんの信頼できる「人」と繋がっていきたい。(2003.10.9) |
| ■□■凝縮された3年間■□■ |
| お陰様でjojitownを開設して3周年を迎えることができた。3年前と大きく変わった環境に自分でも驚いている。 あっ!という間に駆け抜けた3年だったような気がする。jojitownをやっていたからこそ!といういろいろな経験ができた。イベントプロデュースをしたり、ダンススクールを主宰したり、ラジオのレポーターをしたり・・・。もちろん数え切れない多くの方々と知り合うことができた。外だけではない、ネットの世界でも友好関係が広がった。掲示板やメールを通して輪が広がる様は本当に面白い。まさに「やめられない♪とまらない・・・・」のCMソングそのものだ。3年間支えてくださった方々本当にありがとうございました。 この場をお借りして、御礼申し上げます。そして!どうぞこれからも、一緒に元気を共有してください。 そして、大きく変わった環境の変化の中でも子どもの成長という現実は特に自分にとっていい意味で影響があった。3人の子ども達が3年間で3つ歳をとった訳で(当たり前か!)その3年というのも大きな意味を持つ「年頃」だったと思う。高校3年生だった長男は中学生の頃からの憧れだった消防士試験に落ちた後、ある一人の親方について約1年半、見習い期間を経て今月から独立した。娘は中学生から高校生となり、次男は小学生から中学生となった。 毎晩ちゃんと夕飯の時刻になると3人とも帰ってきて、家族揃って食事をしていた3年前が、今や毎日夕飯を食べる人数が変化する。今日はだんな様はいらないけど、その他4人分はいる。今日は長男と娘はいらないから3人分、ってな具合だ。もちろん体も成長し、小学生だった次男は長男の背を追い越す勢い。声変わりも完成しつつある。もう殆ど大の大人が5人で暮らしているという感覚で、私にとって3年前の「子どもたち」という捉え方とはとても大きく変わった。長男とは酒を酌み交わす時間が増えた。「今夜は飲みたい気分」という気持ちが社会人になって心底解るようになったというし、娘もバイトで疲れて帰ってくると「サラリーマンのおじさんたちが飲みたい気分って、解るような気がする。」と言う。 そんなこんなで、私が40歳前に何かを始めたかったという気持ちも少しずつ理解できるようになったとも言ってくれる。毎回イベントの時には有無を言わさず手伝わせ、現場の雰囲気を体感させた。若いエネルギーの偉大さを説き、そのエネルギーを有効活用することの重要性をトコトン熱く語った。自分が今できないことをただ子ども達に課せてるだけなのかも知れないと思い悩む時もあったが、3年たった今、間違いではなかったことを子どもたちが実感してくれている。 言うは易し!動いてナンボさ! 子どもたちになんか、まだまだ負けてはいられない!今私は3年間で知り合った信頼できる数名の方々と新しくNPO法人を立ち上げる準備に取り掛かり始めた。春からあたためてきた活動がようやく形にできそうだ。これから数々の難題に立ち向かうであろうが、子どもたちに授けたパワーを今後は更に幅広い年代の方々に情報発信してゆくという強い意志を持って進んで行こうと思う。たった3年、されど3年。本当に数多くの大切なモノが詰まった、一生忘れることができない有意義な3年間だった。(2003.9.22) |
| ■□■答えは正解■□■ | ||||||||||||||||||
| 沢山の方々に応援して頂き、3回目のjojitownプロデュースライブも無事、終了することができました。 関係者の皆様、また当日遠方より足をお運びくださった方々、この場を借りて、御礼申し上げます。本当に暑い中「生音」を体感しに来て下さったの事は、jojitownやご出演くださったアーティストの皆様の今後に繋がるパワーとなりました。 当日は梅雨も明け、文句ナシ!の夏日でした。2時からの“ふくびき”のステージではギャラリーのクーラーが稼動しないほどの気温と熱気に包まれました。お客様には大変お聞き苦しいステージとなってしまったことも、この場を借りて謝罪させて頂きます。本当に申し訳ございませんでした。“ふくびき”のフクムラサトシさんのサックスという楽器は気温や湿度に敏感な為、音が微妙にズレてしまったようで、演奏しづらい環境の中最後まで頑張って素敵な音色を響かせることに集中してくださいました。トークも交え、さすが!プロ!の妙技を拝見させていただけました。 今回コラボレーションしてくださった方々から掲示板にメッセージを頂きました。コレは数ある私の宝物のひとつになりました。過去ログを保存していない為、以下、ここでご紹介させて頂きます。 ▼まずは今回初の試み!ライブ会場のギャラリー静をインスタレーション(空間構成美術)してくださった夏海さん。
▼14時、16時の2回ステージにご出演くださった第十八回吉祥寺音楽祭オーディエンス賞を受賞なさった“ふくびき”のフクムラサトシさん。
▼13時、15時の2回のステージにご出演くださった金谷ヒデユキさんと飛び入りゲストの猿川あつしさん。
他にも観に来て下さった方々からも、また、当日ご予定があって来ていただけなかった方々からも、嬉しいメッセージを沢山頂きました。ありがとうございました。 「お客さんと会話しながら、同じ目線でってのがいい感じでした〜」 「やっぱり生はいいです〜。声の響きが「そこ」でですもの。こんなに近くで聞けるっていうのはとっても贅沢なことだなぁと嬉しくなりました。」 本当に、今回も!やってよかった!!です。(*^^)v 更なるパワーをみなさんから頂けました。 次回の企画も進行中ですが、2年前から暖めている別の企画にどうしても積極的に行動できずに足踏み状態です。 でも、今回みなさまに頂いたお力や楽しんでいらっしゃるお姿から、なんとか実現させるべく、また日々精進します。 jojitownのスポンサー様である、jojitownサポーターを通して、取材を通して、掲示板でのお喋りを通して、ひとつずつ進んでゆきたいと思います。その時はどうか、また足をお運びくださいませ。そして『元気』を循環させる事にご協力くださいませ。 最後に、当日会場となったギャラリー静『即席!海の家』をご覧ください。 ![]() スタッフの若者もおつかれさまデシタ!(2003.8.17) |
||||||||||||||||||
| ■□■答えはライブ!■□■ |
| 6月25日、インターネットTVなるもののロケを敢行した。なんたって初めてのコトで、右も左もわからないまま、得意の「勢い」だけで、取り組んだ。おかげさまで「jojitownの番組作ろうか!」とおっしゃってくださった「とれるテレビ とれび」のスタッフの方々がプロ中のプロで、多彩な活動をなさってる方々だったので、救われたという感じだった。台本ナシ、番組の構想もナントナクこんな感じレベルの伝達のみで、当日を迎えた。一つだけ「吉祥寺の街というものをjojitownを通して、また、吉祥寺の人を通して透かして見て理解していただけるような番組にしたいっ!」って、自分だけが見えてて、他人様は全く見えない、読めない内容であったにも拘らず、形にしてくださった。UPにはまだ少々時間がかかる編集作業というものが残っているのだが、常時好きな場所で、好きな時間帯に見て貰えるという気軽さは、今後も広めて行きたい。 そして、並行して動き出したのが3回目のプロデュースイベントShuffle Live vol.3だ。 これまた、いいタイミングで面子が揃ったので、一気に現実化。ライブ会場のギャラリーでは、関係者のリハーサルをロケの翌日に行い、木の香りが漂う山小屋のような、お茶室のような不思議な空間で、まったりとし合った。はじめて自分のギャラリーで楽器の音が響き渡るのを聴いたオーナーは、感激なさっていた。それを見て、私も感慨深かった。オーナーのご要望がこんなに早く実現できるとは!お互いに信じられないッ!ってカンジ。夢が形になって行く過程というのは物凄いパワーを授けてくれる。いつも感じる事だじけど、今回は二人分だから、もっと強く感じた。 今回のテーマ「心凛浴〜森林浴〜」は、私にとって春ぐらいから特に気になっていた「心と向き合う」という抽象的な難題の答えでもある終着駅となった。形にして、表現する場として実現できるのだ。 jojitownサポーターの「むさしのカウンセリングルーム」さまや障害者の運動プログラムの教室を開催している「がんばる人」の天野さん、また天野さんと一緒に活動しているというピアノの船越先生などと、様々な観点から「心と向き合う」事について感じたままを話し合ってきた。 大なり小なりみんな同じだね。でも、自分だけが辛いと思っちゃう。そして誰かに解って貰おうと、解らせようと躍起になる。泣いてみたり、相手を責めてみたり、いじけてみたりと手法は様々だ。恋愛、子育て、近所付き合い、社内の人間関係と、様々な人との軋轢に悩み、苦しみ、自分の世界観をかたくなに持って、守ろうとしてしまう。「ちょっ見方を変えてごらん。楽になるよぉ〜♪」自分にいつも言い聞かせる言葉だ。悩み苦しむ「人」は歌手であろうと演奏者であろうと、サイト運営者だろうと変わらない。一生懸命生きようとする「人」である証拠でもある。そんな「人」たちが集まって、心地よい空気を一緒に吸って、明日への活力にして頂きたい。自分探し、癒し、とかそんな大袈裟なものではなく、自分の内側から自然に湧き出るモノを見つけて頂けたらウレシイ。とある夏の日曜日の午後、なんとなくフラッと出かけたい、そんな気分にさせる企画として思い描いて来て頂きたいなぁ〜。予算のない企画ゆえ、スタッフは身内、知り合い総動員。家族、知人にとっちゃ〜イイ迷惑だよな〜。^^;でも、この先まだまだ続くからヨロシクね〜!(2003.7.10) |
| ■□■お願いだから給食にして■□■ |
| 食べる言について、今までも色々と綴ってきた。そして、最近驚きの事実に遭遇した。 何を隠そう我が武蔵野市は中学校給食は未だ実現していない。市長の方針なので、今回の選挙で「あ〜〜〜また4年間は中学校給食は実現しない。」とお嘆きの主婦が、私を含め周りにも沢山いる。 実現しない理由は様々で『親の作るお弁当=親の愛情』という図式は絶対的に存在している。中学校給食への要望は親が手抜きをしたいから・・・と反対派の意見。果たしてそうなのか? 要望派の理由の第一は、成長期にバランスよく食事を摂る事は大事な事で、お弁当は偏ってしまい、野菜不足になりがちである事、また季節柄、学校からのプリントには「食材は加熱調理する。そのままで食べられるハムや練り物は入れない。」「煮物など水分の多いものは入れない。あるいは揚げるなど加工する。」「仕切りに生野菜は使わず、アルミカップなどで仕切る。」などなど食中毒を防ぐためのお弁当の作り方が配布される。一体何を入れればいいのよぉー!と日々頭を悩ます為実現して欲しいというもの。 これらが表面的に論議される内容なのだが、今のこの便利で飽食な時代、料理ができない、しない親が増えている為、コンビニ弁当、調理パンなどいわゆる「買い弁」の回数が多かったり、バランスを考えるなどとは程遠いお弁当が多い現実が存在している。。 その証拠に娘の友達で「おかずは、たまご焼がいい!」と言ったら、次の日、白いご飯とたまご焼だけ。「お肉がいい!」と言えば白いご飯と炒めたお肉のみ。別のお友達はバイトでヘトヘトに疲れて夕飯を楽しみにして帰れば、母親は既にベッドの中。「冷蔵庫に夕飯が入ってる。」というメモにドアを開けてみればファーストフード店で買った紙コップに入ったクリームソーダーだったというから耳を疑う。まぁこのお嬢さんは日頃から出来合いのモノが食卓に並ぶお家で、そんなに食事に期待はしていないと日々言っているが、さすがに「呆れてモノが言えなかった。」と娘に嘆いたという。聞いた娘も驚きよりも同情、苛立ち・・・複雑な心境だったという。 保育園の先生から伺った話では、年に数回の遠足のお弁当がコンビニのサンドイッチだったり、ご飯と唐揚だけ・・・だったりするという。コンビニのサンドイッチに至っては買ってそのまま、コンビニの袋に入れたまま持たせるというのだから、信じられないがこれもまた驚きの現実だ。子供が楽しみにしている遠足の日ぐらい、買ったサンドイッチでも、せめて切ってお弁当箱に並べるぐらいはして欲しいとお願いすれば(どうしてお願いなのかと首をかしげるが)「朝は忙しいから。」の理由になすすべも無いと言う。 このような食事環境で育った子供たちは、成人して家庭を持っても同じ道を進む可能性が高いと推測され、人が命を紡いでいく大切な「食べる」という行為に対し、興味や楽しみを持たない人口が確実に増えて行くであろうと危惧されている。。 食事周りに関して心を痛めている料理人、食に関わる人、教育者は何とかならないものなのかと、今までもコツコツと地道に活動されている。今後、誰にメッセージを投げてゆけば良いのか・・・・。既に子育て中の親よりも中高校生や若い世代に危機感を持ってもらわなければならない時代に移行してきているなと、ふと感じた。食べるという行為は、単にお腹をいっぱいにするだけのものではない。行事や季節を感じ、食材の恵みや作り手に感謝し、会話を楽しみ、初めて満腹感を味わうものだと思う。 お弁当を持たせる=親の愛情という算式はすでに現実問題として、通用しなくなってきているように思う。そのような算式に囚われず、ここまで来てしまった食事に関する現状を把握し、少しずつ改善していかなくてはならない。中学校給食制度には莫大な資金が必要が、日々元気で暮らす事と、食べる事は切っても切れない関係にある以上、特に若年層に食の大切さというものを教育の一環として早期に実現してもらいたい。ドーカひとつ!そのように考えてもらえないモノでしょうかね〜?手抜きがしたいという姑息に見える意見だけではないという事をわかってもらいたいニャー。(=^・^=)ダメっすかね?(2003.6.14) |
| ■□■見えない技(根拠の無い自信)を磨く■□■ |
| 2003年3月31日をもって約1年間のレポーター生活も終了した。今となってみればあっ!という間の走馬灯のような1年だった。 たかが10分の枠での生中継。(今だから「たかが」と言える・・・。)初めはネタもなかなか見つけられず、周りの方々にそれはそれは色々と助けて頂いた。当初の予定が大幅に崩れ、1ヶ月後は週に3回程度・・・という話が、気づけば9月まで月曜〜木曜1日3本1時間おきに、金曜日は1時間おきに2本を携帯電話から生中継という、今なら絶対にできない(したくない)モノを約半年間もやっていた。おかげさまで色んな方と本当に親しくなれた。お金を払ってもお付き合い願えない方や、間に二人も三人も入っていただいて巡り合えた方々が数え切れない程、沢山・・・。名刺ホルダーの埋まり方は半端じゃなかった。本当にいい現場に立たせて頂き、いい経験をさせて頂いた。 そして何よりも初めて会う方々に対する嗅覚に磨きがかかった・・・ように本人は思っている。 要は自分と合うか合わないか?合うとしたら、jojitownでなのかその他なのか、突発的なイベントで、なのか?個人的に長くお付き合いしていけるのか?などの嗅覚が磨かれた。そしてその磨かれた技は、開設から今までの約2年半での人との繋がりから今後のお付き合いの仕方にまで、役に立った。 ここ何年かで出会った方々の中で、やっぱり無理・・・という方も事実たくさんいらっしゃった。 喧嘩別れやイヤな別れ方はしないに越したことない。相手が牙を剥いてくればそれなりに、こちらも牙を剥く。でも、そうでなければわざわざ戦う必要は無いと思っている。静かにその人の側から離れればいいだけだ。そんな離れ方をしながらも「どうしてるのかなぁ〜?」などと気になりつつ・・・月日は流れる。そうこうしている昨今「やっぱ一緒にやってなくて良かった〜」と感じてしまう出来事がいくつもあり、磨かれた嗅覚の中で今自分が信頼をおいている方々からチラホラ聞き漏れる話を耳にすると「やっぱりいい時にいい事件が起きてくれたんだ〜。」とほくそえんでしまう。 投げやりな意見でも何でもなく、出会った人たち全員となんて、うまくやっていけるわけが無い。うまくやろうとする自分のボーダーラインが、jojitownを始めて本当にわかるようになってきたんだと実感する日々が、ここ何日か続いている。 些細なこと、ほんとに最低限の事ができなければ、絶対にそれ以上の事には向かって行けないし、満足なんて言葉も程遠い。 老若男女関係なく、相手を本当に好きだと感じ、一緒に居て楽しくて、相手の笑顔があるから頑張れる自分がいて、相手もそう感じてくれていて、何かを生みだせた時、共に心から笑い合え喜び合える。そんな当たり前の事が素直に心に響きあう。それがあればどんな横槍が入ろうとも縁は切れるものではない。 自分が今、相手の中でどのラインにいるのかも最近では察知できるようになってきた。気に入らないのなら、いっそ一気に断ち切ってくれたら、お互いにスッキリする。そんな強気な言葉まで発してしまっていいのだろーか?と思いながら色んな人の顔が思い浮かぶ。強がってみても、やっぱり別れは嫌なもんだね。でも仕方ない。そう諦める事も必要なんだとシミジミ感じた春だった。(2003.5.13) |
| ■□■「パイプ」になる、お年頃■□■ |
| 今、私は42歳。 子供が3人いて、長男は今年、無事に成人して社会人として毎日がんばって働いている。自分が二十歳の時は、どんな生き方をしていたのだろう・・・?子供が一つずつ歳を重ねる度に、なんとなく振り返る事だ。私は二十歳で結婚して二十二歳で初めての出産をした。二年後に仕事をはじめ、以後ずっと育児((と言えるモノかどうか?)と仕事の日々が続いている。あっ!という間の二十年間だった。 自分では短いように感じていた二十年間も、ここ最近「長さ」を感じ出した。 子供と一緒に育ったような「私」は、本当に多くの方々から知恵を教授して戴いてきたのだと、深く考えれば考えるほど、確信がもてる。反面教師。まさにそんな日々の積み重ねだった。戴いたモノは懐深く大事に暖め、いつかきっとお役にたたせなくては・・・。 最近、公私共に本当に日々慌しい。自分の事も含めて、3人の子供たちを含む身内、仕事、地域、友人、尊敬する方々、お世話になっている方々、心を寄せている方々・・。その、さまざまな方々とのそれぞれの関係で、色々と頭を悩ませる事件が、それこそ、さまざまな形で一気に湧き出した。参ったね〜!と苦笑いするしかない。その内容と言ったら、一笑に付すものから、深刻な問題、はたまた今後の存続に関わるという大きな問題まで、同じ系統のものは何ひとつない。大分類すると、単なる相談、再建、究極の二者択一問題、景気付け、愚痴、諦めなど、実にさまざま。 全てに関して、真剣に考え、行動に移すべきものに関しては手順を決め、連絡を取り合い、見過ごすべきものには嫌われようとも関わらないようにし、出たり引っ込んだりと、立ち位置を考える時間だけで心も体もヤレヤレ・・・が続いている。 しかし、湯船に浸かってよくよく考えてみた。 そしたら、全ての問題に共通点が僅かながらあったのだ! どれもコレも、全ては何かを「繋いでいく」事にみんな頭を悩ませ、愚痴を言い、苛立っている。そんな風に感じた。 これからの事・・・。全てその共通点があった!なんだ!前向きな話ジャン!大変だと思うから辛くなったり、自暴自棄になったり、泣きたくなったりで、自分で自分の心を握りつぶしてるんジャン!当たって砕けろー!命までは取られんダロ。 以前から私は30代、40代は人々や歴史の「パイプ役」である年齢だと思っていた。そして、自分はその「パイプ役」を、ある程度きちんとこなし、50代に突入したいと思っていた。やっとお役目が回ってきたのカモ?しれな〜い! 歴史や、たくさんの方々に今まで戴いた「知恵」を語り継ぎながら、若い世代を牽引し、目上の方々から、まだまだ足りない知恵を伝授して戴き、中間に位置する立場から物事をよりよく潤滑させる技を身に着けて、日々成長せねばと思っていた。そう!もしかして、その一番狭間の時期なのかもしれない。試されているとも言えるかも知れない。この慌しさを乗り越えたら、キット!何か明るい兆しが見えるのかも知れない。そう思ったら、なんだか俄然頑張りたくなって来た。(2003.4.20) |
| ■□■はじめての経験 その後■□■ | |
| 前回ご紹介させていただいた「山びこ」さんの会報誌が出来たらしい。 むさしのFMへ郵送してくださったそうだ。明日はレポートの日なので、局に行くのが楽しみ♪でも、淋しいかな、レポーター稼業も今月一杯で打ち切り・・・。リストラ・・・っぽいカンジ。でも、明日は明日の風が吹くさぁ〜! こんな寄稿をさせて頂きました。さっ!今週はまた、色々と忙しい。 名古屋から十数年ぶりのお客さんもいらっしゃるし、新境地開拓可能か?もあるし・・・。山口元気サンも初の中学校での講演だし・・・。楽しくなりそうな一週間。元気でいると、自然に『幸せ』な気分でいられるんだね。(2003.3.17)
|
| ■□■はじめての経験■□■ |
| 何でも「はじめて」の経験って、ワクワク!ドキドキ!するもの。今回のはじめての経験は寄稿。むさしの生中継で何度かお邪魔している社会福祉法人 武蔵野のデイセンター山びこさんからの依頼だった。センター内の会報で2000文字程度の原稿。なんたってjojitownで、こうして気軽に書いているものとは全く違う性質のものだし、テーマも自由って事だったので、手をつけるまでに何日かかっただろうか。締め切りが今月末という事だったので、今月はなんとな〜〜く、頭のどこかにずっとこびりついていて、常に「アッ!あれ書こう!・・・・ん〜〜〜待てよ・・・・・」などとナカナカ楽しませていただいた。結局、山びこさんとの出逢いから始まって、私の日頃の活動や昨年の“Shuffle
Live vol2”を開催するまでの経緯などを書かせていただいた。昨日メールで原稿を送ったので、ヤレヤレってとこ。 あれ〜?この方はどこぞのどなたの紹介で仲良しになったんだっけ・・・・?と、最近ご縁の出所がまったくもって思い出せなくなるほど、たくさんの方々とお逢いしている。以前にも書いた事があるが、不思議と「はじめて・・・・?ですよね・・・・・?お逢いするの」という感覚の出逢いがとにかく多い。波長が同じというか、ノリが同じというか、ポンポ〜ン!と会話が弾む。そして、またそこから「はじめまして!jojitownの河野です。○○さんのお知り合いなんですってね〜。」ってはじめてのご縁がどんどん広がっていく。 @ひろみのおさんぽだって、はじめての経験を堪能できる。はじめての土地、はじめての景色、はじめての人との出逢い。デジカメもって歩いていると、観光客だとわかるから親切丁寧に色々と教えてくださる。気軽に「こんにちわ」なんて挨拶してくれると「あ〜やっぱりおんなじ人なんだ〜」って当たり前の事なのにヤケに感激してしまう。山びこさんの原稿にも書かせていただいたんだけど「目、耳、鼻、口がついてる同じ人という大きい括りでいい」って、いつも感じてた。でも、どこか今ひとつ根拠のない自信のような不安と気後れみたいな気持ちがあった。自分に対する景気付けみたいな言葉でもあった気がしてた。その私に「顔の良し悪しと障害の有無は同じ個性ですよ!」ってALMAのリーダーが私を諭してくれた事があった。その言葉を聴いてから、やっぱりそうだよね〜と、素直に受け止める事にした。細かい不具合は色々あるが、基本は人と接するとき、大きな括りでいいんだ!という自信がついた。それからというもの、人と初めてお逢いする時、いらぬ心配、怖さが全くなくなった。 第一印象って、とっても大事だし、第一印象だけを信じちゃいけないしで、はじめてってやっぱり意味のある事なんだ〜と原稿を書きながらぼんやりと感じた。だから「はじめての経験」って新鮮で、謎めいていて、私にとってはたまらない媚薬なのだ。(2003.2.27) |
| ■□■出動指令■□■ |
| 2003年!今年は果たしてどんな楽しい1年になるのだろうか?楽しいっ!って決めてかかってる自分に気が付き「前向きでいいんじゃない〜!」と自我自賛。 そして、今週やたらと出動指令がかかり「縁結び役」を仰せつかった。 まず、私の母校の中学校(3人の子供たちも通っていた&通っている)から中学1年生の『総合』の時間で生きること、いのちについて、というテーマで講演をしてくださる方を紹介する指令。 このテーマは漠然としているようでいて、幅が広い為、キラキラして「生きている」人なら説得力もあると考え。以前、学校に紹介してあったこのひとしってるぅ〜?!で取材させて頂いたキックボクサー『山口 元気』さんに決定。早速元気さんに電話で依頼。「無理っすヨォ!」とまんざらでもないジャブ。 「だってさぁ〜。いいのよ。元気さんが拘ってキックの道を歩んでる事とかさ、どうしてキックを始めようと思ったかとかさ〜。迷える子羊たちに元気さんの想いを語ってくれれば」「そっすかぁ〜。ハイ・・・じゃぁ・・・あっ!でも3月9日に、またタイに試合に行くんで、帰ってきてからならいいっすよ!」へへへ・・・。ノックダウンKO勝ち!講演初の元気さんのメッセージは貴重なお話になるだろうな。録音用のレコーダー、買わなくちゃ。嬉しい出費。 そして次なる指令。 「以前@ひろみさんがお話くださったアコムCMソングを歌ってらっしゃる『鈴木 崇』さんを笑っていいとも!のあるコーナーにご出演願いたいのですが・・・」との指令。それも急な話で今週の金曜日だという。 即効崇クンに電話。「木曜日が札幌のラジオなんですよ〜。毎週金曜日に東京に戻って来るんですけど、笑っていいともですよね-。帰って来ますよ!」その後の詰めは直接依頼人と交わしてもらうようにお願いした。残念ながら今回はコーナーが打ち切りになってしまったとかで実現できなかったそうだが「鈴木さん笑っていいとも!にご興味があるようなので今後、必ずどこかのコーナーでお願いする予定です。決まり次第@ひろみさんにご連絡しますから」との事。ん〜〜〜。残念だったけど、今後が楽しみ♪ やっぱ笑っていいとも!は全国区だからね〜。あのShuffle Liveで司会を務めてくれた『飛石連休』も笑っていいとも!に出演して新宿で単独ライブまで決行できるまでの箔がついたモンね。ひとつの登竜門なんだろ〜な。 そしてまたまた次なる指令。 jojitownサポーターにもなってくれているバンドネオン奏者の『小川 紀美代』さん。彼女は今、バンドネオン日本代表として吉祥寺からアルゼンチンへ、バンドネオンを担いで乗り込んでいる。アルゼンチンで、もっとも伝統的で、最高峰であるフォルクローレの祭典に日本代表で出演するという大業。私のまだまだ細い人脈を駆使して、その事をいくつかの媒体へご紹介させて頂いた。 早速、地元のケーブルTV局が、帰国後取材をしたい!と申し出てくれた。 以前、私もこのケーブルTVの番組で市民ボランティアが製作してくださったドキュメンタリーで半月間放映して頂いた。 その前にもShuffle Liveの告知でニュースのコーナーに出演させて頂いた事もあり、今後は地域で活躍されている人を紹介したいなぁ〜と野望を持っていたので、今回初めてご紹介できる事になり、とても嬉しいのだ。 まだまだご回答を頂いていない媒体の方々もいらっしゃるので、楽しみだ。 元気や勇気を振りまいてくれて、でも時には悩みながらもシッカリと地に足をつけて歩んでいる人。そんな人たちをさまざまなシーンで、広く世間の皆様にご紹介してゆく。その気概はこれからも持ち続けて行こうと思う。それが、私ができる事であり、やらねばならない使命・・・と最近は勝手に自分で解釈している。サイト開設から約2年半。ひとつの事を継続して行く過程で「まずは自分でやってきた事に自信を持つタイミングって大事よ」と、昨日知人から助言された。彼女はその継続が10年目になる。彼女も自分に自信がいまひとつ持てない時期に上司からそう助言された事で目から鱗だったと言っていた。気持ちが楽になったとも・・・。ひとりでやっている私にはそんな助言をしてくれる上司もいないんだ・・・。とずっとイジケていた部分があったのだが、こんな身近に元気発行人の心を深くサポートしてくれる人が居てくれていたのだと、改めて気づかされた。何気ない会話の中で、彼女は何かを察知して、この言葉を私に贈ってくれたのだろう。 出動指令は随所から私に送られて来ている。「元気」という大きくて抽象的なテーマ。押しつぶされないように、指令を全うして行こうと思う。(2003.1.24) |
| 2000年9月の開設から2002年3月までの感想文です! | 2002年9月からの元気ネタです! | |
| バックナンバー ひと言 2000年 2001年 2002年 | バックナンバー 2002年 | |
| [携帯バージョン] [このひとしってるぅ〜?!] [がんばる人] [ボランティSPRIT] [ひと言] [えとせとら・・・] [おいしいごはん] [みんなの絵] [情報BOX] [掲示板] |